見えない家畜たち
1960年代、私は羊、ヤギ、馬、牛、犬、そして数え切れないほどの猫がいる農場で育ちました。当時の私たちの家庭には性別に基づく役割分担があり、三人の姉妹は家の中の仕事を、弟と私は外の仕事を担当していました。皿洗いなんて「女の子の仕事」だと思っていた私は、納屋から出る大量の家畜の糞を外に運んで積み上げ、数ヶ月放置して温度が下がるのを待ち、その後ミミズが住み着くまでの作業には何の抵抗もありませんでした。畑にそれをすき込むときも、ミミズの存在など特に意識していませんでした。
ミミズを「育てる」という考えに初めて出会ったのは、1980年ごろの沖縄でした。私は農業高校で教鞭をとっていた頃、友人が自分の農場のミミズを見せてくれるというので訪ねてみると、雑然と積まれた段ボールのようなものをめくると、その中や下に無数のミミズが棲みついていました。その光景は、当時は深く関心を持たなかったものの、今でも脳裏に焼きついています。
20年後、雨ざらしにしていたワラの俵に赤ミミズが住み着いているのを発見しました。私はそれらを捕獲するために、長さ7フィート・幅2フィートの矩形フレームを防腐処理した2×4材で作り、底に1/4インチの金網を張った積み重ね可能なトレイを数段組みました。一番下のトレイは地面に直接置き、その下に合板を敷いてミミズが逃げないようにし、幅3.5インチの段ボールを立ててぎっしりと詰めました。ミミズはその上のトレイに土と一緒に入れ、そこに毎日の生ゴミを投入し始めました。
このミミズたちは、私の4人家族が出す生ゴミを10年以上にわたって処理してくれました。トレイがいっぱいになると次のトレイを重ね、3段、時には4段まで積みました。数ヶ月ごとに一番下のトレイを取り出すと、そこはミミズの糞(バーミキャスト)だけになっていて、それを畑にまいていました。
市場性のある「収穫物」として、ミミズそのもの、バーミキャスト、そして「ミミズ液肥(ワームティー)」があることはなんとなく知っていましたが、それらの収穫方法は知らず、調べる余裕もありませんでした。夏は直射日光を避けて日陰に置きましたが、冬にはほぼ凍らせたまま放置。嫌気性環境を防ぐこともせず、ミミズの飼育に関する本も読まず、それでも日々の生ゴミがいつの間にか分解されて消えていくことに満足していました。
近くの桜の切り株は、切った後に新しい幹を伸ばし、5〜6年のうちに直径20cmを超え、隣の家よりも高くなり、以前よりもずっと良質な実をつけるようになりました。
このブログシリーズでは、私のミミズとの旅路「ワームホール」をこれからもご紹介していきます。